きみだけに聴こえる声で話したい

nicoicon(designworks)倉又美樹のブログ 

年明け

年明けでした。

 

 お正月から人に会う用事がけっこう続いていて、人にあっている時は楽しいんだけどひとりになると反動がすごく、だらけてしまうことが多い。今年はひとりでいるときの自分を律することができたらいいなと思う。具体的に言うと家事とか、読書とか、運動とか。去年も同じこと言ってたなあとも思う。

 

 社会ぜんたいに不穏な匂いがどっかしていて、核実験が起きたりとか、国交がえらいことになったりとかしている。小さいころ第3次世界大戦が絶対来ると思って毎晩眠れなくてむちゃくちゃ泣いてたころがあるんだけど、それがどんどん近づいているんじゃないかと思って怖い。

 

 2016年、どうなるんだろうなあ。

 

 このブログの方向性とか、ちょっと考えたり考えなかったりしている。好きなモノを好きなように書く場所が、実はあんまりない。twitterはなんだかんだで数個アカウントを持っているけど、アカウントの方向性によって喋れることがじつは違っている。たとえばリアルの知人とつながっているアカウントのほうではあまり思想・思考について書かないようにしている。たまにばーっと書いてしまうことはあるんだけども。ここは最初短歌のこととか実生活のことを淡々と書こうと思って作った。で、淡々と書いている。たまにだけどそれが良いと言われることがあって、やっぱりそれはうれしい。

 

 というのも文章を書いているとどんどん内面を掘り下げていくことになるのだけど、私の場合それをやるとどんどんどんどん鬱の方向に自分を振っていく。たぶん一番最初に文章を書き始めた時の動機が、そういうネガティブなものを発露したいという動機だったからなんだと思う。もっと淡々とやれたらいいなとも思う。

 

 鬱というとまたすこし違うかも。自罰的な方向。

 自罰がじつはすごく生産性が低くて、あれもできないこれもできないという状態にたやすく引っ張られるのもあまりよろしくないということにも最近気づいた。

 

 本も淡々と読んでいる。ただ、実用的な本を買っては積むということもたくさんしている。たぶん、武器が欲しいんだと思う。最近はマーケティングの本とウェブの本をたくさん買っている。あと、少しの小説。ファンタジーや、自己を啓発するものが今少し怖い。精神的なポルノにだまされて、誰かのせいにして、現実が見えなくなると頭や心はたやすく暴走する。それがわかっているから、無心にのめり込むこと、何かに愛着することもわりとこわいのかもしれない。

 

 創作全般について、とくに文字で創作するものは内面にへばりついた死にかけの自分を引っ張りだして死にたくないと言わせる行為に近いということを知ってしまい、いまは全然死にかけじゃないので死にたくないとも言えなくなって、どうしようかな、と考えているのかもしれない。

 

 というわけで絵のほうをわりとがんばろうと思う。絵は精神が落ち込んでいても、方法論があるから方法論をおぼえるだけでもだいぶ描ける。無心になれる。楽しい。