160107 最後なんて思い出せないけどさ
連投になるけど書いちゃおう。
2013年、全体的に頭が狂っていて、とにかくものを作り続けていた。文章を書いて仕事をしてデザインをして本を作っていた。勢いがとにかく良かったけど、頭はとにかく狂っていた。ほんとに、発狂というのはああいう状態を指すんだと思う。とにかく「夜は眠るのが怖い」「朝は起きるのが怖い」「栄養価のある食べ物を栄養を考えて食べるのが怖い」「自分が食べたい食べ物、飲みたい飲み物以外を食べるのが怖い」「お酒を入れないと眠れない」「風邪薬を飲むのも怖いからお酒を飲みながら薬を飲む」「太るのが怖い」「でも一年で8キロ以上増える」「服を買うのが怖い」「部屋を掃除できないけど本を買うのもやめられないので、部屋が本で埋まり本の上で寝る」「お金のことをきちんと考えるのが怖い」「怖いから通帳を見ない」と、書けば書くほど頭がおかしかったと思う。
原因はいくつかあるのだけど、(長時間労働とか人間関係とかお金のこととか)とにかくそれらの原因から目をそらしてひたすらモノを作るのは楽しかった。脳みその中心が焼き切れるみたいな感覚を持ちながら夜中にひとりでばんばんパソコンを触っているのも楽しかった。はっきり言ってこのまま死ねば最高だなと思った。考えないで済むからだ。実家のこともお金のこともぜんぜん精神的に救われる気配のない自分のクソみたいな人格のことも考えないで済むから。自殺とかできないのはよくよくわかっていたし、自分では生産性が高くて最高じゃん、と思っていた。
ところで最近部屋の掃除をしていたところ、2010年くらいの通帳が出てきた。もともとあまり貯金できてなかったんだけど、2010年の通帳はちゃんと記帳もされていて、なんというか、「生活しよう」「がんばろう」という気持ちの残滓がそこにあった。たしかお弁当も作ったりしていたあのころ。一食300円で済まそうとしてあーむりだったなーとかやりながら魚の照り焼きを作ったりしていたなあと思うとなんだか泣けてくる。
震災の後くらいからだろうか、「このままここにいてはいけない」「でもどうしていいかわからない」という気持ちが高まり、「自分をコンテンツ化したい」というのがはっきりした時、私は全然おもしろくない自分のことをどうにかしておもしろくしたいと思ったのだろう。頭良くない、愚直に続けている仕事でもあまり褒められない、どんくさい自分。ぐるぐるフルスロットルで目の前の仕事を片付けていると、脳内麻薬がばんばん出てきた。少なくとも「面白い人」と思ってもらえることができた。それって最高じゃんと思った。「面白い人」には価値がある。「どんくさい人」には価値がない。私は誰かにちゃんと値段をつけてもらえる自分になりたかった。そして、そんなくだらない幻想にものすごいすがっていたんだと思う。
この間占いを受けて(ホロスコープでした)、上に書いたようなことをつらつらと言われて、「でも、仕事が忙しくなきゃいけないっていうのは幻想なんだからね」と言われた時、「あ、私は、パワハラや過酷な環境に振り回されながらパフォーマンスを上げる自分が大好きだったんだな」と思った。本当に大好きだった。超強くてなんでもできて生産性が高いような人になりたかった。でも、たぶんそこは根っこの部分じゃなかったんだって思ってちょっと泣いた。好きだった人に裏切られたような気持ちになった。
旦那のおとうさんは震災の年に脳梗塞をやってしまって、なんとか一命を取り留めて、いま老人ホームに入っている。要介護度が高いから、一緒に暮らせないのだ。そうしてお話をするたびに、多分あのヤバイ状態を何年も、10年くらい続けていたら、こんなようなことになっていたのかもしれないな、と思う。
だからわりとマイペースに仕事をしている。人には向き不向きがある。もう少しがんばれるようにも思うのだけど、私はいまはこんなようなペースでなにかをするのが合っているのだと思う。
年明け
年明けでした。
お正月から人に会う用事がけっこう続いていて、人にあっている時は楽しいんだけどひとりになると反動がすごく、だらけてしまうことが多い。今年はひとりでいるときの自分を律することができたらいいなと思う。具体的に言うと家事とか、読書とか、運動とか。去年も同じこと言ってたなあとも思う。
社会ぜんたいに不穏な匂いがどっかしていて、核実験が起きたりとか、国交がえらいことになったりとかしている。小さいころ第3次世界大戦が絶対来ると思って毎晩眠れなくてむちゃくちゃ泣いてたころがあるんだけど、それがどんどん近づいているんじゃないかと思って怖い。
2016年、どうなるんだろうなあ。
このブログの方向性とか、ちょっと考えたり考えなかったりしている。好きなモノを好きなように書く場所が、実はあんまりない。twitterはなんだかんだで数個アカウントを持っているけど、アカウントの方向性によって喋れることがじつは違っている。たとえばリアルの知人とつながっているアカウントのほうではあまり思想・思考について書かないようにしている。たまにばーっと書いてしまうことはあるんだけども。ここは最初短歌のこととか実生活のことを淡々と書こうと思って作った。で、淡々と書いている。たまにだけどそれが良いと言われることがあって、やっぱりそれはうれしい。
というのも文章を書いているとどんどん内面を掘り下げていくことになるのだけど、私の場合それをやるとどんどんどんどん鬱の方向に自分を振っていく。たぶん一番最初に文章を書き始めた時の動機が、そういうネガティブなものを発露したいという動機だったからなんだと思う。もっと淡々とやれたらいいなとも思う。
鬱というとまたすこし違うかも。自罰的な方向。
自罰がじつはすごく生産性が低くて、あれもできないこれもできないという状態にたやすく引っ張られるのもあまりよろしくないということにも最近気づいた。
本も淡々と読んでいる。ただ、実用的な本を買っては積むということもたくさんしている。たぶん、武器が欲しいんだと思う。最近はマーケティングの本とウェブの本をたくさん買っている。あと、少しの小説。ファンタジーや、自己を啓発するものが今少し怖い。精神的なポルノにだまされて、誰かのせいにして、現実が見えなくなると頭や心はたやすく暴走する。それがわかっているから、無心にのめり込むこと、何かに愛着することもわりとこわいのかもしれない。
創作全般について、とくに文字で創作するものは内面にへばりついた死にかけの自分を引っ張りだして死にたくないと言わせる行為に近いということを知ってしまい、いまは全然死にかけじゃないので死にたくないとも言えなくなって、どうしようかな、と考えているのかもしれない。
というわけで絵のほうをわりとがんばろうと思う。絵は精神が落ち込んでいても、方法論があるから方法論をおぼえるだけでもだいぶ描ける。無心になれる。楽しい。
やりたいことメモ20151112更新
やりたいことメモ 7月時点
- 家事をきちんとやる
- 忙しさのコントロール
- 休養のうまいとりかたを模索
- 後回しにしない
- TOEIC受ける(700点くらいを目標…)
- WordPressについておべんきょう
- 名刺とポートフォリオをつくる
- ダイエット(10キロ)
結果
- 家事はわりときちんとできている。最近は鳩と戦って勝利をおさめる。達成
- 忙しさもコントロールできている。在宅仕事増やした。達成
- 休養もとれているが眠りの質を上げたい 達成
- 後回しにしないよう手帳などを購入して対策を練っている
- 受けてない。準備しよう
- わりとこれは使えてきた。サイト構築もやってみたい
- 名刺は作った。ポートフォリオ作ろう。
- リバウンドした。あと6キロ…。
続けるということはむずかしいことだなあと思うばかりです。
以下のように更新。