きみだけに聴こえる声で話したい

nicoicon(designworks)倉又美樹のブログ 

デザインという仕事についての話【2015年の実感編】

こんにちは。似子です。

 

ここ一年は色々な仕事をなんでも受けるような感じでした。

しみじみと振り返ろうかと思います。

 

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私は美術大学を卒業したのち、

2008年に卒業してから6年半ほど

「雑誌・本にまつわる仕事」ばかりしておりました。

 

もっとくわしく書くと、

(1)バリバリのエディトリアルデザイン系事務所

・対象年齢50歳男性

・経済誌・ゴルフ雑誌・デアゴスティーニ系の週刊雑誌・セクシー系週刊誌など

・案件が週刊誌〜月間・隔週まであるのでいつも忙しい

(2)若年層〜女性向けの案件多めのエディトリアルデザイン系事務所

・若年層というか幼稚園児から高校生向け案件多い

・howto ものや実用書が多い。

・季刊の雑誌が多く、3ヶ月ごとに無茶苦茶忙しくなる

(3)結婚により退社、自宅+客先に出向いてのフリーランス

・営業を積極的にしておらず、友人知人から声をかけていただいてお仕事

(ありがとうございます)

・一部会社在籍時の顧客とお付き合いあり

・基本的になんでもあり

 

事務所は2個しか経ていないのですが、

けっこう対称的な作風の事務所だったので

自分の幅は広がったと感じています。

人数も最小6人〜最大20人の状態まで経験しています。

(よく、デザイン事務所は人の入れ替わりが激しいと聞きますが、本当です…)

 

こういう職歴を辿っているので、

エディトリアルデザイン」のことはわかるのですが

「デザイン」「社会」のことが余りわからない状態でした…。

2つの職場では沢山のことを学びましたが、

デザイナーしかいない環境ですとやはりものの見方がデザイン至上主義に偏りがちです。

 

そこで、今年2015年は色々な仕事を行いました。

以下に一例を挙げます。

・企業に出向してチラシやSPツールを作る

・専門学校の講師

・小規模の企業でのweb保全+管理+更新+デザイン+コーディング

・イラストレーションを描く

・ブログ等ライティング

・未来食堂ロゴ・看板デザイン(3Dレーザーカッティング使用)

・企画書制作

・装丁

 

進行中のものもそうでないものもありますが、

この1年でだいぶものの見方が変化したと思います。

一番の変化としては、

本のデザインはマーケティングから遠い作業

というのが肌で実感できたことだと思います。

 

そもそも、本を作る側であり、売る側で無かったというのも大きいですが

本をデザインするときにあまり数字を意識したことはありません。

多いのが、「売り場に並んだ時にどう見えるか」を意識する

感覚的な作業です。

実際の数字は可視化されないので、

「長年の経験」としてのノウハウが現場で共有されています。

ただ、そのノウハウがデザイナー個人に託されるため

共有する際に意思の疎通が難しいという一面があります。

 

webデザインをしてみて思ったのは、

・その数字や効果がすぐに見える

・それに対して迅速な反応を得ることができる

・ノウハウが共有しやすい また数字に繋がる対案をストックしやすい

という部分がwebのよいところだと思いました。

 

また、紙のデザイン・本のデザインは

刷り直すことができないため、

売り始める前に厳密なチェックが必要になります。

逆にそれがコンテンツとしての本の強度、情報の強度を上げていると思いますが、

気軽に作れるものでないというか、情報が消費されているペースと、制作可能な日数のペースがそもそも合わないのだな、というのは実感としてあります…。

本が淘汰されつつあるのはそういう部分も大きいのかもしれません。

素材代・流通経費もばかになりませんしね。

 

実際の発行部数・返本率・全国どれくらいの書店に流通しているかなど、

本が売れる際のデータを出版社とデザイナーが共有することで

本のデザインももっと変化していくのかなー。なんて思います。

 

あんまり自分が関わってきた本のその後を知らないのですよね。

それとも私が知らないだけで

世のエディトリアルデザイナーはそこまで知っているのだろうか…。

謎はふかまる。

 

つらつらと書いてみましたが、

来年もなにかおもしろいことをやっていきたいなーと思います。

そして早めですが、2015年の確定申告まとめ

がんばろうと思います…

 

お読みいただき有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来食堂さんいよいよ開店

未来食堂さんが今週末 いよいよ開店とのことで

いまからわくわくしています。

 

開店にさきがけて

何度かケータリングのお手伝いをさせていただきました。

(上が新しく、下に行くほど前のものです)

 

miraishokudo.hatenablog.com

miraishokudo.hatenablog.com

miraishokudo.hatenablog.com

 

会社をやめ、一人でデザインの仕事をしている中で

未来食堂さんのお手伝いをしていると

プロジェクトの中にいる、色々な人とつながる感じを持つことができました。

また、ケータリングの会場にいると

たくさんの方が楽しくその場を楽しんでいる様子が見られて

「あぁ、自分のしてきたことが助けになったのだ」と

思うことができたのも、また良かったです。

 

得難い経験をさせていただきました。

お店のこれからも、とても楽しみにしています。

モテをめぐる冒険

最近はくたびれはてこさんのブログをぽつぽつ読んでいる。

kutabirehateko.hateblo.jp

 

木嶋佳苗の話と、

不特定多数から好意を得るために力を尽くす「モテ農夫」を絡めた日記。

 

以前の知り合いで、こういうタイプの人がいたな。

モテ農夫には成りきれていなかった人だけど、

その人は本当にマメでやさしくて、落ち込めば励ましてくれるし、聞いていて楽しい夢を語る人で、コミュニティの中では絶大な人気があった。でもその人の話にはびっくりするような嘘が山ほど入っていた。それも日常生活を個人的に知るようにならないとわからないような嘘だ。そしてそれをぜったいに認めない。

 この部分を読んでいて身震いした。

嘘をつくというか、自分の頭の中の事実はそうなってしまっているので

真顔で素っ頓狂なことをお話するのだ。

針小棒大という言葉がぴったりだな、と思ったことを覚えている。

 

この二三年、人付き合いで色々とダメージを受けることがあって

しみじみと感じたのは、

人の頭の中はわからないということだ。

だから法律があり、交渉があり、論理がある。

それは人間関係における一個のものさしで、

はみ出てしまえばそこで終わり。

したことに対しては罰を受け、あるいはお前は間違っていると言われる。

 

だけどそのものさしからはみ出ない限り、

人の頭のなかもココロの中も自由だ。

 

だからといって、人の妄想や、苦痛や、

ネガティブな部分に関わり続けるのには限界がある。

そしてまた、自分だってある程度は頭がおかしいことにかわりない。

 

モテたいという欲求についてはわからないけど

より多くの人に承認されたいという気持ちに近いのだろうか。

私はデザインや、創作物でそういう感情を抱くことはままあるし、

追い詰められた時の自分の汚さはいやというほどわかる。

 

だけど不特定多数の異性、人間から

能力でなく、内面や外見という

努力でなんとかなるが相手の好みで左右されるもので承認され

なおかつ性的な意味合いが含まれるもので判断されるのは

どこかべたついた気持ち悪さを感じる。

 

木嶋佳苗は獄中で支援者と結婚したという。

ものさしの外側に行ってしまった人も

やり方により、支援を受けることができるのだな、と思うと

人の心というものは本当に複雑だと思う。

その複雑さをコントロールできたら捗るのかもしれないが、

迷宮めいたそれに触りたいという気持ちは 今のところ無い。

 

"人心掌握術に長けた人には近づきたくない" というのは全く至言だと思う。

利用されたり陥れられたりそれ相応の反動を受けるからだ。