悪人のように言われたくないこと
自分が悪人になりたくない、というのはやっぱりある。その時はそうするしかなかったというところで思考停止していたこともある。だけどそれを拾い上げて自分を振り返れていない、お前はダメな人間で100%お前が悪いと言われることに何の意味があるのかと思う。生産性がない。生産性のない話に耐えられない。結局それしかないんだな、と思う。
幸福であることを祈り続けるというのはとても難しいな。自分の身はかわいい。認識は状況により歪む。だからといってそれを他者に声高に言ったところでなにもない。悪いのは自分だと思い続けることにも、生産性はない。
昨日は山村浩二さんのアニメーション上映会を見て、その上で本人の解説を聞く会に行った。面白かった。
繰り返す時間というモチーフが出てきたけれど、繰り返す時間は確かにノスタルジックで芳醇だ。少しさみしい。なぜならそこが行き止まりだから。
行き止まらないためには同じところを回りながら少し上昇するしかないのだ。鏡の中に見る自分の顔が、いつかの母に似ていると感じるように。似ているということは恋でもあるけれど、縛りでもある。