きみだけに聴こえる声で話したい

nicoicon(designworks)倉又美樹のブログ 

モテをめぐる冒険

最近はくたびれはてこさんのブログをぽつぽつ読んでいる。

kutabirehateko.hateblo.jp

 

木嶋佳苗の話と、

不特定多数から好意を得るために力を尽くす「モテ農夫」を絡めた日記。

 

以前の知り合いで、こういうタイプの人がいたな。

モテ農夫には成りきれていなかった人だけど、

その人は本当にマメでやさしくて、落ち込めば励ましてくれるし、聞いていて楽しい夢を語る人で、コミュニティの中では絶大な人気があった。でもその人の話にはびっくりするような嘘が山ほど入っていた。それも日常生活を個人的に知るようにならないとわからないような嘘だ。そしてそれをぜったいに認めない。

 この部分を読んでいて身震いした。

嘘をつくというか、自分の頭の中の事実はそうなってしまっているので

真顔で素っ頓狂なことをお話するのだ。

針小棒大という言葉がぴったりだな、と思ったことを覚えている。

 

この二三年、人付き合いで色々とダメージを受けることがあって

しみじみと感じたのは、

人の頭の中はわからないということだ。

だから法律があり、交渉があり、論理がある。

それは人間関係における一個のものさしで、

はみ出てしまえばそこで終わり。

したことに対しては罰を受け、あるいはお前は間違っていると言われる。

 

だけどそのものさしからはみ出ない限り、

人の頭のなかもココロの中も自由だ。

 

だからといって、人の妄想や、苦痛や、

ネガティブな部分に関わり続けるのには限界がある。

そしてまた、自分だってある程度は頭がおかしいことにかわりない。

 

モテたいという欲求についてはわからないけど

より多くの人に承認されたいという気持ちに近いのだろうか。

私はデザインや、創作物でそういう感情を抱くことはままあるし、

追い詰められた時の自分の汚さはいやというほどわかる。

 

だけど不特定多数の異性、人間から

能力でなく、内面や外見という

努力でなんとかなるが相手の好みで左右されるもので承認され

なおかつ性的な意味合いが含まれるもので判断されるのは

どこかべたついた気持ち悪さを感じる。

 

木嶋佳苗は獄中で支援者と結婚したという。

ものさしの外側に行ってしまった人も

やり方により、支援を受けることができるのだな、と思うと

人の心というものは本当に複雑だと思う。

その複雑さをコントロールできたら捗るのかもしれないが、

迷宮めいたそれに触りたいという気持ちは 今のところ無い。

 

"人心掌握術に長けた人には近づきたくない" というのは全く至言だと思う。

利用されたり陥れられたりそれ相応の反動を受けるからだ。